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62話 亡国の聖女

last update Last Updated: 2025-07-04 14:30:15

 ──亡国ツァイト。

 その国の政(まつりごと)はツァイト聖教が取り仕切っていた。

 国の最高機関は、帝都にある現在のファルカ大聖堂。

 そこには十二人の聖者が暮らしていたという。

 十二人の聖者は時計の盤面で考えれば分かりやすい。

 十二……頂点に君臨するのは〝結実の聖女〟と呼ばれるうら若い娘だったそう。

 結実の聖女に選ばれるのは、命を芽吹かせる唯一の権能──キルシュと同じ草花の芽吹かせる力を持つ《聖痕保有者(スティグマ)》の娘が選ばれたそうだ。

 この権能を持つものはそうそう生まれない。決まって女性。

 命を芽吹かせ、〝再生〟を象徴する──尊い力。

『時代こそ違うけど、キルシュは今代の聖女。その器なんだ』

 ファオルは涙で濡れた声で静かに語る。

 そして──

『大好きな友達だった』と。

 ──唯一、命を生み出す事ができる権能。木の属性。草花の権能は最も美しく、最も醜い。

 内陣(チャンドル)の中の隠し部屋で読んだ、書物の内容をキルシュは思い出した。

『先代の聖女はアプフェル。キルシュと同じ茜髪にペリドットみたいな瞳の女の子だった。顔立ち背丈、声まで瓜二つ。それに名前だって二人とも実を結ぶ花の名前だもん』

 ──林檎(アプフェル)と桜桃(キルシュ)何もかもが、そっくり。

 懐かしむように言うファオルだが、その声は今にも泣きそうに震えていた。

 そんな国の頂点、アプフェルの仕事は、刻の偶像から神託を受け取る事と祈りを捧げる事。実際には国の運営に関わる事は無かったらしい。

 謂わば、頂点は表面上。〝お飾りの聖女様〟だったそうだ。

 それは当の本人も自覚し、飾りの立場に嫌気が差していたそうである。

 だが、同じような爪弾きはもう一人。

 十二と対局にある六の聖者──聖女の侍従である聖騎士も然り。二人でよく文句を垂れていたそうだ。

 ましてや、第六聖者は彼女よりも幾らか年下。

 騎士とはいえ、まだあどけない少年だ
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